本人の体験談「私とギャンブル」
18歳で高校を卒業して料理の道へ進む決心をし、中国料理店に就職しました。入社して3か月間は、まじめに勤務出来ましたが、やがて酒を覚え、パチンコが始まりました。最初のうちは勤務が終わってから1時間位でしたが、次第にコントロールが効かなくなっていきました。この時の1日は、休憩時間はパチンコ、仕事が終われば酒の生活が毎日でした。
1年間はこのような生活でしたが、転勤して今度は大型店です。大型店ですから当然繁華街にあり、少し余裕が出てきた頃から休憩時間は繁華街でパチンコ、仕事が終わればお酒の生活が始まりました。
給料は、ギャンブルとお酒のために使い、なくなれば親にたかる生活です。ちょうどこの頃に、違法でありながらポーカーゲームにはまりだしました。2,3か月は続きましたが、ポーカーゲームが廃止になって出来なくなり、その後はまたパチンコでした。
「今度こそは勝ってやる」と行くのですが、ダメ。休憩時間、仕事終わりに通っていましたが、ダメ。結局、のちにサラ金地獄になりました。サラ金も最初は「ちょっとくらいいいか」の考えでしたが、それはもうすでに地獄の入り口に入っていました。自転車操業になっても返済できると思いたかったけれど現実は違いました。出来た事は逃げる事でした。
どうしようもなくなり、回復施設につながって、自助グループにも通い、いまはお酒もギャンブルも止まっています。回復するためには、「依存を必要としない生き方」しかありません。でも一人では無理で、仲間の力が必要です。過去の自分に依存は必要でしたが、ミーティングに参加してギャンブルを必要としない生き方に変えていくことができるようになりました。
※今後、別の方の体験談についても追加予定です。
※このページは、大阪府こころの健康総合センター作成の冊子「ギャンブル等の問題で困っている人への支援のポイント」から抜粋しています。