家族の依存症でお悩みの方へ
桂 雀々さん
プロフィール
落語家 1960年生まれ
落語以外でもTV、映画、舞台でなど多方面で活躍中。
上方お笑い大賞最優秀技能賞(2002年)、大阪府舞台芸術賞
奨励賞(2006年)など受賞歴多数。
著書に「必死のパッチ」(幻冬舎)あり。
父のギャンブル等依存症
父は屋台で人気のうどん屋を営んでいました。一杯150円のうどんを一晩で一万円以上売る技量があると同時に、一千万円近くもの借金を一人で築き上げることもありました。母や僕の気苦労も知らず、父は、仲間を家に招いて、丁半博徒をやっており、普段は大人しく面倒くさがりの父が、この時は人が変わったように嬉々としていました。週末は平日の負け分を取り戻そうと、仲間と住之江(競艇)に繰り出していました。
僕が小学6年生の5月のある日、三者面談がありました。「ほな、おかあちゃん先に帰ってるからな。気ぃ付けて帰っておいでや」と言った母はそのまま帰ってきませんでした。
ある日、父は無理心中をしようと包丁をつきつけてきました。そうこうするうち、父もしばらくして僕を置いていき、中学生の僕は一人きりでの生活を余儀なくされ、借金取り立ての恐怖と戦わざるを得なくなりました。軽い口調で話したりはしますが、いまでも震えは残っています。
出会い
当時は、まだ世間が温かかったように感じます。パン屋のおばちゃんや民生委員、励ましてくれる友達もいました。バイトの皿洗いで夕食も食べられました。借金取りの親分にすごまれ恐怖のあまり臨界点を超え心情を吐露したら「ほんまに最低な父親やな」と千円札5枚を握らせてくれたこともありました。
友人からのテレビ出演の誘いで得た高揚、その後の先輩などからの心無い言葉、くすぶる思いのなか、ある日ラジオから落語が流れてきました。「狸の賽」。苦痛だった父とのあの頃と同じような状が、こんなに面白おかしく描かれており、すごくいいモンに出会えたような気がしました。
皆様へ
僕は今日も舞台の上で大粒の汗をかきながら、落語という孤独がくれた宝物を必死のパッチでしゃべっています。でも、それは、母親譲りのおおらかな気質と幸運に恵まれたから。
いまは、人情が薄くなってきているように感じられ、その分、子どもたちは息苦しく感じていると思います。でも、子どもから助けてとはなかなか言いにくい。
周りは、軽々しく頑張れというのではなく、温かな声をかけてほしい。
そして、子どもたちにはとにかく生きてほしい!そう思っているおっちゃんがいることを、頭の片隅に覚えていてもらえれば嬉しいな。
桂 雀々さんは、令和6年11月20日に逝去されました。
故人のご冥福を心よりお祈り申し上げます。